源氏蛍

当宿の裏手に流れる白川では毎年五月下旬から六月上旬にかけて、ゲンジボタルが飛び回ります。
それはそれはとても静かにポツポツと綺麗な蛍光色を点滅させ、観る人に情緒を感じさせてくれます。

わたしは整った環境でないと生息できない蛍が街中で観られるのはとても稀な事だと感じ、同時に川の水がキレイな証拠だなと思いました。

ここ白川付近では水辺の自然環境や水質が良いという証でもある蛍の保全を目的としたボランティア団体もあります。自身が参加させていただい時は、蛍が休む草むらや卵を産む場所などは自然な状態を残しつつ、川にあるゴミや長く伸びた水草を皆で刈ったりしました。また、ホタルの陸上活動時期の4月〜8月は草刈りはせず、土を踏まないようにと注意を促すところなど、近隣のホタルへの配慮が伺えます。

その代償というわけではありませんが、こういった活動や整った環境のお陰で源氏蛍は成虫の約10日〜2週間というほんと短い間、今時期の夜(20:00頃から)に特殊な発光細胞を化学反応させて身体を光らせ、観る人に美しさや趣き、儚さや情緒を与えてくれるのです。

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           光るホタルを撮るのは難しかった;(撮影日 5/28)

知る事でより身近に親しく感じられると思い、ホタル(主にゲンジボタル)について少し調べてみました。

蛍は世界に約2000種、日本に約40種いるといわれます。その40種の中で一般的に知られてる蛍にゲンジボタル(源氏蛍)とヘイケボタル(平家蛍)がいます。ゲンジボタルの大きさは1.5~1.8cmでヘイケボタル(0.8〜1.0cm)に比べて2倍近くも大きいです。

その大きさの違いから、かつての源平合戦で勝利した源氏を大きい方の蛍に準え、小さな方を平家に準えて名付けたという説があります。
また、蛍は光るということで紫式部による「源氏物語」の主役、光源氏の名前にかけて源氏と名付けられ、その後見つかった違う種類の蛍を、源氏と対比させて平家と名付けたという説もあるようです。

この蛍は黒い腹部に赤い胸部を持ち、ゲンジボタルは胸部に十文字の黒線、ヘイケボタルは縦に太い黒線があり、それぞれを区別できます。

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オスのゲンジボタルはお腹を2カ所「ピカピカ」と早く光らせて信号を発して飛んだりしながら交尾相手のメスを探します。
メスのゲンジボタルはオスよりもやや大きく、草むらにいてあまり飛ばずにお腹の1カ所を「ピーカピーカ」とゆっくり光らせてオスを待ちます。
相手を見つけるとお互いにより強い光で信号を送りあい、やがてお尻を向かい合わせて交尾します。

交尾を終えたメスは水面より50cm以内の石苔や草に産卵します(約500個)。ゲンジボタルは卵の時より光を持っているんです。
そして約30日間を卵で過ごした後に孵化します。
ホタルの仲間でゲンジホタルとヘイケボタルの幼虫だけは川の中で過ごすそうです。幼虫時期はザリガニや魚に鳥が天敵となります。

ヘイケボタルはカワニナ(巻き貝)の他、モノアラガイ(巻き貝)を食べますが、ゲンジボタルはカワニナ(巻き貝)しか食べません。成長になるまで40〜50個のカワニナを食べるようです。更に成長に合った大きさの貝が必要なので、カワニナが生息できない場所には当然、ゲンジホタルも生息できません。

ゲンジボタルは6回の脱皮をしながら幼虫期を約9ヶ月間水中で過ごし、4月に上陸し、草の生えた柔らかい土の中にもぐって土まゆを作り、そこでサナギになります。約50日間を過ごした後、ようやく羽化して成虫(約10日〜2週間)期間を謳歌するのです。ちなみに成虫の時は何も食べないようです。天敵は蜘蛛。

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ゲンジボタルにとっては、1.5〜2.0mほどの川幅に20〜30cmほどの深さで流れが遅く、濁りも無く水質も良い(水質階級2)川で川底に小石や砂などが多く、川岸は砂まじりの少し濡れた柔らかい土で草が生え、低い草木で覆われている場所で、周辺は桜などの日陰ができる木が多く、街灯や車のライトが無い暗い所が住み良い場所で、昨今の現状ではなかなか難しい環境である事がわかります。また近年、コモチカワツボといった食物連鎖を壊す外来種もいるようなので尚の事です。

わたしは時々、川にペットボトルやビニールの袋など、不自然な物が川に投げ捨てられるのを見ます。とても残念な光景です。川は様々な生き物が水を求めて住んでいます。子供にとっては危険なこともありますが、たくさんのことを学べて様々なことを体験できて楽しめる場所でもあります。
京都は街と自然とがなかなかうまく共存できていると思います。その理由のひとつとして、街に川が流れていることが大きな要因ではないでしょうか。わたしは自然を壊さない為にも川とどうしたら親しく、また楽しめることができるかを考え、自然とうまく共存できる街を少しでも守っていければなと思います。ホタルの光りはとても優しく、儚く、ほんと綺麗です。この光景が来年も、再来年もずっと観れる光景であってほしいと願ってやみません。

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また、左京区下鴨神社にて毎年6月上旬に催される蛍火の茶会では、境内に600匹もの蛍が放たれ、幻想的な空間を体感できます。
この時期に京都へお越しの際は一度足を運ばれては如何でしょうか。

大正硝子

当宿では大正硝子が今でも残っています。大正硝子は明治から大正時代に製造されたガラス。現代のとても平滑で厚く透明度の非常に高いガラスとは違い、大正硝子は歪みがあり、不規則な波によって光の屈折が生じ、ガラス越しの景色が曲がって見えるガラスです。それがレトロを感じさせるので、現在でも雰囲気に合わせて使っている人もいます。

大正硝子はなぜ歪で不規則な波があるのか?それは当時のガラスの製造過程によるものです。当時の町工場などでは『手吹円筒法』と呼ばれるガラスの製造方法が主流でした。それは人が吹き竿で熱せられたガラスを円筒状に吹き膨らませ、それを冷ましてから縦に切って再び熱して板状に広げるというイギリスで確立された当時のガラスの製造法で、高温の中で、さらに息の続く限りガラスを吹き膨らませなくてはならないというとても重労働、かつ熟練者でないと円筒状に膨らませるのも容易ではない過酷な仕事だったようです。ちなみに、ガラスの製造方法は大変な重労働の手吹円筒法から、アメリカのラバースが人が吹く代わりに蒸気でガラスを吹き膨らます技術、ラバース式を開発し、それが主流となっていった。機械でガラスを膨らます為、労働を軽減させ、より大きな板ガラスを作れるようになっていったようです。

手吹円筒法によって産まれたガラスは人の息でガラスを伸ばしている為に不規則なゆがみが生じるわけで、同じ形は二つとないわけです。ある近くの骨董屋さんのウィンドウの大正硝子は当宿の大正硝子に比べて歪みがとても多く、ガラス越しの商品も歪んで見えるのですが、それがまたとても味わい深く、雰囲気があって、目をとらえてきます。

当時の人の息づかいが形として残っているこの大正硝子はとても貴重です。割れてしまって新しいガラスになってしまっている箇所も所々ありますが、残っている大正硝子は大切に残していきたいと思います。ガラスの不規則な歪みを観て人間味やどこか懐かしさを感じる事は平滑な今のガラスではできない事です。大正硝子を観ていると少し歪みがあるくらいが人間的で面白いじゃないかと思えます。

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杉苔

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写真は奥庭の大杉苔です。白川の桜が散り始め、時々強い風が吹くと、桜の花びらが花吹雪となってちらちらと奥庭の苔に舞い落ちてくるのです。

中庭と奥庭には一面杉苔が敷いてあります。
杉苔には吸音効果があり、周囲の雑音を吸収してくれるのです。
日本庭園を観に行くと、いつもその静けさに心落ち着くのは杉苔のお陰でもあるのですね。

当宿には入口に面した新門前通りがあります。その通り自体は静かなのですが、それでも近くに四条通りや花見小路、また辰巳神社があったりと人通りの割と多い地域です。
さらに当宿と、なすありの小径とを挟んだ白川も流れているので、休むのには少し騒がしいと思われるかもしれません。

ですが白川はとても静かに流れ、そのせせらぎの音は心を落ち着かせてくれます。
更に鰻の寝床と言われる京町家特有の間口から奥に長い家の造りと杉苔の吸音効果により、想像以上の静けさを感じられるとともに、よくお休みになられる事かと思います。

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芳春

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どんな暗い事件が起ころうとも、春は必ずやってくるものです。
今年の祇園の桜は4月に入ると同時に桜がほぼ満開となりました。

当宿の裏手には白川が流れており、それに沿って桜並木があります。その満開の桜を鑑賞したり、
写真を撮られる人もとても多く、また当宿からほど近い巽橋や辰巳大明神を主とした
白川南通りの桜や柳の姿もとても美しく、観る人に芳春を味わせてくれます。

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こちらも近所ですが、八坂神社の奥には桜の名所、円山公園があります。八重桜、染井吉野、枝垂桜など680本もの桜があり、また桜守、15代佐野藤右衛門が育てて植えた彼岸枝垂桜は夜桜で有名です。樹齢70年ではありますが、それでも今年も見事な花を咲かせています。
周囲は花見客で賑わい、また夏の縁日のような雰囲気もあって大人から子供まで桜の木の下で楽しんでいます。

桜は日本人の心なのだなと再確認できます。

当宿では連泊されるお客様のご宿泊料金を20%OFFさせていただいております。
春の京都はとても過ごしやすく、イベントも盛りだくさん。新緑も美しく、散策するにもとても良い時期かと思います。
この機会に是非、当宿をご利用くださいませ。

水野克比古の写真

2月後半の事になりますが、庭師の菅藤さんのご紹介でご高名な写真家、水野克比古さんが当宿の庭を撮影するとの事で奥様と義子でもある秀比古さんと伴に来られました。

自身は前から水野さんの写真が好きで写真集を持っていたので、まさかうちを撮ってもらえる事になるとは思いも寄らず、庭師の菅藤さんからお話をいただいた時は感極まる思いで承諾したわけです。

撮っていただいた写真もすぐに送っていただき拝見させてもらいましたが、水野克比古氏のレンズを通すだけで普段見慣れている風景に渋い味が出ているのを感じ、2月という草木の色も決して良いとは言えない時期を逆に利用したというような色合いを出しています。加工などほぼ無しという事でとても感銘を受けました。

どんな形でご使用になるのかとても楽しみです。もしご来泊された際は是非ともご覧になって下さい。

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六弥太格子

六弥太格子

宿 十宜屋の客室の襖には所謂「六弥太格子」の模様がある。これは江戸後期嘉永年間に、歌舞伎役者の八代目市川団十郎が一谷武者絵土産の岡部六弥太、平忠度を討ち取った源氏の武将、に扮した時に、その裃にこの文様を使ったことで、この名前が定着した。三桝文(三つの正方形を重ねた模様)を互いに組み合わせた連続模様で、三桝文は市川家の定紋とのこと。 中島静好堂さんにしてもらった。